たまに子育ての話。

「ラクダを水飲み場へ連れて行くことはできるが、水を飲むか飲まないかはラクダ次第。」

どなたかの記事で目についた言葉です。




これ読んでひっくり返りそうになりました。

なるほど。と思って。




連れて行く事はできても、水を飲むか飲まないかはラクダ次第ってことで

結局、なるようにしかならないって話。









先日から気になっていた子供の様子。



そーんなに気になるほどでもなかったのだけれど

なーんとなく引っかかるところがあって





何気ない話から核心に触れたタイミングで

話しが始まりました。






そろそろ進路も考えなければならない

思春期真っ盛りの高校二年生。




悩みは尽きなくて

悩みちぎって極限まできていて

ポーカーフェイスのセブンティーンの心の中は

ぐちゃぐちゃで

放心状態になっているようでした。






そんな話を、母さんなんかに絶対したくないセブンティーンですが


核心に触れられたら先を切ったかのように話しだして。


私はただただ話を聞くこと1時間。







話を聞きながら

あーでも私も高校生の時、おんなじようなことで悩んでいたな。と思い返しました。




それと共に



私がなんとなく引っかかっていた

兄さんのとある思考癖が浮き彫りになり

それがそうとう根深いということがわかって

ちょっと衝撃を受けました。






この子のこと…わかっているようで全然わかってなかったな。と






私は衝撃と反省と今の現状とで頭が混乱して


しばらく言葉が出てきませんでしたが。








本人は長々と喋って頭も整理できたのか



わかってもらえた。

言葉にできた。

わかってくれる人がいる。

という安心感から





二人で共有する空気感が変化し

あの人の声や表情も柔らかくなり

なんとなく

心が落ち着いていくのがわかって。





 
なんかちょっとクリアになった感じになりました。

あの人の新たな課題も見えてきた。











私はというと…




この人はこう生きて行くのではないかな。


この人はこう生きていくのであろう。

となり

だったらこうしたほうがいいと思うよ。

から

こうするべきでしょ。



と形を変え





最終的に



私は自分でも気づかない間に

この子に対して「何か」を期待していたのかもしれない。

そして

この子のこと、わかっているようで何もわかってなかった。



ということがわかり

ほんと

お恥ずかしい気持ちになりました。(こんな仕事しながら…)










家族の中で

人との関わりの中で

この人にはこうあって欲しい。

こうして欲しい。

と望むこと

よくあると思います。





希望を持つ事は勝手ですが

期待はするべきではないし

こちらが勝手に決めつけていることも多々あるのではないか。

もう一度考えてみるのもいいかもしれません。










水を飲むか飲まないかはラクダ次第。

そこまでは踏み込んではいけないし

踏み込めない。





まさにそんな事があった直後の

このラクダの話は

今の私にヒットする言葉で

思わずひっくり返りそうになった。

という話です。











あー。

正直、自分の事となると途端に見えなくなる…。

久しぶりにちょっとへこたれた。













私の子育ての話でした。







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