父のDNA。

私と2人きりになる車の中で

最近よく

じいさん(私の父)の話を聞きたがる

うちの兄さん。





じいさんが亡くなった時の兄さんは小学校一年生。

口数少なくて、威厳ある仕事人だったじいさんとの記憶は

当時小さかった兄さんにとってはあまりにも少なく、微かなものです。






夕方、2人きりの車中。

車も混んでいたのもあって、なかなか目的地に着かず話も弾み

兄さんのお気に入りのいつもの十八番「じいさんの武勇伝」からスタート(笑)







私が物心ついた頃にはもう

海外を転々とするような仕事人。

とは言え

高卒の叩き上げだったじいさんは

英語もろくに喋れないのに

青いペラペッラのうっすい英語の辞書を片手に、出張していたのを思い出します。(あの人辞書とか引けたんかなぁ…ってくらいの感じ 笑)



ヨーロッパやアジアなんかで、あんなペラペラの辞書片手に、よく仕事ができたものだな。


と思うけれど


それより何より

今思えば

よく言葉の通じない国へ一人で行っていたものだな。とも思います(ちゃんと仕事できとったんかなぁ。不思議 笑)





どこの国へ行ってもきちんといつもお土産は買ってきてくれて

それが楽しみでたまらなくて。

中でもフランスで買ってきてくれたレターセットは私の宝物でした。







腹も据わっているので

基本、常に喧嘩上等。

よく職場の人と喧嘩していたのも覚えています(これな。すぐカッとなる 笑)







そんなこんなで敵も多いので

ドラマのように海外の小さな工場に左遷され

チキショー!と言わんばかりに

弱小工場を建て直し

見知らぬ土地でひとり

巨大な工場を作り上げ






そして、やり切ったと言わんばかりに

気づいたら体を悪くしていて

間もなく亡くなってしまった。





という

まるでドラマのような人生。







何度話してやっても

兄さんはこの話を何回も聞きたがる。







じいさんの考え方

ものの見方

持っているもの

亡くなってからわかった人間性。







客観的に見ると

ちょっとおかしくて、面白い人やった。

けど

父親としては…。んー(笑)

晩年は父と私でケンカばかりしてました。







んで、またそんな話も

兄さんは何回も聞きたがるから

私も何回でも同じ話をする(笑)








私に受け継がれたじいさんのDNAは

兄さんにも受け継がれていて

じいさんのアクロバットでちょっとぶっ飛んだDNAを元に

この子もまた

この世に何か貢献し、生きた爪痕を残していけるように。


そんな思いを心に秘めつつ。






私はあいも変わらず毎度お馴染みの

じいさんの話を兄さんにするのです。








一生懸命生きてけよー。

やり残すなよー。 

って思いながら。


 







なんてことない私の子育て。







破天荒なじいさんの話でした。





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